◆ 永年の幅広い行政経験と、生野区に赴任して感じたこと ~『多様で豊かな生野をモデルに、大阪を元気にしていきたい!』
私は、昭和60年に建築系の職員として大阪市役所に就職し、当初は10年間都市計画課で用途地域などの土地利用規制を担当し、阪神淡路大震災の後、建物の耐震改修の促進計画や、生野を含む密集市街地の整備計画を担当。また2008年大阪オリンピックの招致局で、現在、万博やIRの予定地となっている夢洲での選手村計画や環境対策を担当したり、海外からの観光客や企業を誘致する国際プロモーションなど、主に大阪市全体や国際的な企画業務を担当してきました。
一方で、大学・大学院と地域のまちづくりを専攻していた私は、機会あるごとに住民参加や行政区レベルのまちづくりの充実を唱えてきたこともあって、10年前の夏、区政改革担当課長として生野区役所に赴任することになりました。
まもなく、副区長兼保健福祉センター長に昇任しましたが、その後も常に、地域に飛び出す公務員を心掛け、地域の方々と直接のふれあいを大切にして、区政の前線にたって、空き家対策や小中学校の統廃合と教育環境の改善、子どもの貧困対策、お年寄りの見守りシステムの構築など様々な課題に取り組んできました。
課題によっては、地域の方々と意見を交えることもありましたが、生野のまちは、下町の風情を残した人情味豊かなまちで、場面が変われば、温かく親しく接してもいただき、時を重ねるうちに「心の故郷とも言える大好きなまち」となっていきました。
また、私にとっても生野のまちは、生活の息吹を感じる長屋と路地、自然と言葉が交わされる商店街や銭湯、ものづくりのまちとしても賑わい、地車や地蔵盆などの伝統文化と在日の方々の文化等が入り交じっていることから、多様な生活スタイルや価値観を持った人々がふれあい、助け合いながら、自己実現に向けてチャレンジしていける、そんなバイタリティを持ったまちとして非常に魅力的で、輝いて見えていました。
こうした多様な生活文化、産業を包摂するコミュニティ、そのバイタリティこそが、「これからの時代の社会インフラとして、とても価値あるもの」であると肌で感じてきました。
そんな生野区をモデルにして、大阪を日本一いや世界一魅力的で元気なまちにしていきたい、そんな思いから、前回の統一地方選で政治家を目指すにあたり「生野から大阪を元気にする会」を立ちあげました。
地域の取り組み




◆ 生野の元気を取り戻す「拠点づくり」!
残念なことに、生野区の豊かな生活文化や産業はどんどん疲弊してきています。人口が減って、空き家が増え、古くなった長屋は解体され、銭湯もどんどん閉鎖されていってます。商店街もどんどん寂れて、町工場も移転や廃業が続いています。
人情味あふれるまちと思っていた、生野のまちであっても、最近、孤立化する人が増えて、様々な問題を引き起こしています。また、伝統文化に対する愛着も薄まり、地車囃の音色までがうるさいとトラブルになるなど、地域のアイデンティティも低下していく状況と言えます。
こうした状況を少しでも改善したいとの思いで、3年前の夏、仲間とともに空き家を借りて、「人と人との交流を促し、地域生活を豊かにしていくための拠点」を立ち上げることにしました。 手探りで、徐々にボランティアの講師仲間を募りながら、ギターセッションや、健康サロン、子育てママのためのプチ起業相談、子供向けの歌と工作の広場、スマホ教室や空き家相談など、様々なイベントを継続的に実施しています。
【もものや(桃の谷)】 http://momonoya.main.jp/ ← ここをクリック


その他のボランティア活動





◆ 公務員、サラリーマン意識からの脱皮!
こうした拠点の運営に取り組むなかで、私は、自分自身のなかで欠けているものに気づき始めました。
それは、これまでの「公務員、サラリーマン意識」から脱皮し、「自らの意志で学び、自分の耳と目で確かめ、自分の力でことを動かしていく。」という個人としての能力です。これを高めていかなければ、将来、政治家になれたとしても、皆さんの期待に応えていけないのではと感じたわけです。
そこで、少し、突飛に思われるかもしれませんが、まず、私は、もう一度、大学に行って、公務員に欠けている「経営感覚」、そして、これからの社会に大きな変化をもたらすであろう「情報技術やシステム」を基礎から学んでみようと考えました。通学も考えたのですが、政治活動との両立を考え、通信制の大学、「サイバー大学の総合情報学部」に入学することにしました。若い学生さんたちともネットを介してともに勉強し、この春に卒業、学位をいただきました。
また、私は建築士としてのバックボーンをもとに、生野区の課題のひとつである空き家問題を、区役所時代から継続的に仲間とともに取り組んできましたが、より実践的な知識と能力を身に着けるために、宅地建物取引士の資格をとり、空き家相談等に生かしてまいりました。
さらに、サラリーマン生活してきた私は、我々の社会にとって大切な、税金、年金、社会保険に関する知識が乏しいところがありましたので、ファイナンシャルプランナーという資格試験を受けることによって、相続や会社の事業承継、投資や金融といった内容を含めて、政策を考える上での、基本的な知識も広げることができました。




政治活動
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